ブログ 2024.08.16

2024年6月末・フキ採り盛んな頃。深山の小沢平とフキとの思い出は永遠に。

このフキという山菜がどれだけの深山の歴史を築き、どれだけの多くの人々を助け、どれだけの多くの人々の健康に役立ってきたのかを知る人は本当に少なくなってしまったと私達は思います(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

このフキという山菜がどれだけの深山の歴史を築き、どれだけの多くの人々を助け、どれだけの多くの人々の健康に役立ってきたのかを知る人は本当に少なくなってしまったと私達は思います(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

フキを採ってきたら最初にまずフキをよくそろえて、葉を鎌で切り落とします。山菜採りに鎌は必需品となります(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

フキを採ってきたら最初にまずフキをよくそろえて、葉を鎌で切り落とします。山菜採りに鎌は必需品となります(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

山菜とともに約60数年。87歳の母と採ってきたばかりのフキの姿です(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

山菜とともに約60数年。87歳の母と採ってきたばかりのフキの姿です(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

良くそろえて葉を切り落としたら、熱湯でよく茹でます。フキの皮をむく場合と、むかないで茹でる場合とがあります(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

良くそろえて葉を切り落としたら、熱湯でよく茹でます。フキの皮をむく場合と、むかないで茹でる場合とがあります(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

この日は90歳の父がフキを茹でました(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

この日は90歳の父がフキを茹でました(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

熱湯でしばらく茹でた後、冷たいきれいな清水で冷水にさらします。この日はこの大きめの樽一つ採れました(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

熱湯でしばらく茹でた後、冷たいきれいな清水で冷水にさらします。この日はこの大きめの樽一つ採れました(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

多くの清らかな水分を含んだフキの群生の様子です。フキは暑い夏に体温を下げてくれるなどの薬草効果も非常に高い貴重な山菜です(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

多くの清らかな水分を含んだフキの群生の様子です。フキは暑い夏に体温を下げてくれるなどの薬草効果も非常に高い貴重な山菜です(小沢平開墾地にて・2024年6月25日)。

数多くあるフキのメニューの中の一例が、尾瀬野の朝食メニューの一品、「フキの炒め物」です(2024年6月30日)。

数多くあるフキのメニューの中の一例が、尾瀬野の朝食メニューの一品、「フキの炒め物」です(2024年6月30日)。

今年初めてトンボを見たのがこの日でした。トンボはこの後のブログでも数多く出てくることになります(2024年6月25日)。

今年初めてトンボを見たのがこの日でした。トンボはこの後のブログでも数多く出てくることになります(2024年6月25日)。

何気ないツツジですが、檜枝岐村ではこの頃が久留米ツツジの満開の頃でした(2024年6月28日)。

何気ないツツジですが、檜枝岐村ではこの頃が久留米ツツジの満開の頃でした(2024年6月28日)。

様々なアジサイがありますが、どんなアジサイでもアジサイという花は本当に美しいものです(尾瀬野前の山アジサイ満開の頃・2024年6月28日)。

様々なアジサイがありますが、どんなアジサイでもアジサイという花は本当に美しいものです(尾瀬野前の山アジサイ満開の頃・2024年6月28日)。

小沢平では、この頃がニッコウキスゲ満開の頃でした(小沢平開墾地にて・2024年7月3日)。

小沢平では、この頃がニッコウキスゲ満開の頃でした(小沢平開墾地にて・2024年7月3日)。

小中学生の頃の夏は、只見川での川遊びと魚採りと川での水泳と飛び込みなど、大自然とともに遊び、鍛えたことが大きな小沢平での思い出の一つでしたが、社会人となり檜枝岐村にUターンしてきてからはフキ採りが最大の思い出であり、多くの大自然とのふれあいや大自然とともに生きてゆく人々の姿から多くのことを学んだ貴重な人生の日々でした。それだけ、フキという山菜の歴史は深く、深山の檜枝岐村や日本の深山の山菜採取地域への地域経済に与えた影響力は凄いものがある山菜といえます。
小沢平や砂子平や赤岩などの開墾地では戦後の食糧難の時代に原野を切り開いてそば畑や広大な畑を作った場所が荒れ地になりかけた頃にフキは広がりを見せ始め、畑だった芳醇な土地に広大なフキ畑が広がっていったものと思いますが、毎年、6月初旬から7月20日頃までのフキ採りの季節には、新潟県湯之谷村の山菜加工場の人がトラックでフキを買いに来られました。湯之谷村からシルバーラインと奥只見の道路を通っての往来でした。エイノおばあさんが加工場の人にフキを売る時の本当にうれしそうな笑顔が今でも忘れられませんし、必ず加工場の人にはお茶とお菓子を出して楽しそうな会話で盛り上がっているようでした。また、福島県側では、木賊温泉で山菜加工をしておられた平野物産店の平野さんが人を雇いながらトラックでフキを買いに来られました。平野さんはフキ採りの買取が衰退する最後まで来られた山菜加工買取業者でした。平野さんは山ウドの買取なども盛んにやっておられ、父と母は毎年多くの山ウドを平野さんに買い取ってもらい山菜採りの生計を立てておりました。平野さんとの思い出も本当に懐かしい貴重な思い出ばかりです。エイノおばあさんや開墾地の人々は、「平野が買いに来てくれるかーあんまーいぇー(良い)」といつも言っておられましたが、本当に懐かしいほのぼのとした、素朴で本当の大自然の檜枝岐村の中で大自然とともに生き抜いている人々の姿がそこにあるような光景でした。
毎年フキ採りの日には雨であろうと大雨であろうと、風が吹き続ける悪天候でも、必ず朝3時30分に小屋を出て薄暗いフキの原野でフキ採りを始めるエイノおばあさんの姿から学んだことは本当に貴重な、かけがえのないものばかりでした。

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