ブログ 2024.01.06

2024年・令和6年 1月1日午後4時10分。

地震発生約4時間前の帝釈山へとつながる桧枝岐村の山々の様子です(2024年1月1日午後12時10分)。

地震発生約4時間前の帝釈山へとつながる桧枝岐村の山々の様子です(2024年1月1日午後12時10分)。

初詣を終えた後に七入へ向かい、尾瀬国立公園の沼山峠方面を望んで(2024年1月1日午後12時3分)。

初詣を終えた後に七入へ向かい、尾瀬国立公園の沼山峠方面を望んで(2024年1月1日午後12時3分)。

故郷への帰郷や新年の元日の、一年でも一番おめでたい日に、まさかこれほどの地震災害が発生するとは。言葉を失います・・。これほどまでの残酷なことがあっていいのかと・・・(雪景色に染まるナナカマド・2024年1月1日午後12時18分)。

故郷への帰郷や新年の元日の、一年でも一番おめでたい日に、まさかこれほどの地震災害が発生するとは。言葉を失います・・。これほどまでの残酷なことがあっていいのかと・・・(雪景色に染まるナナカマド・2024年1月1日午後12時18分)。

御客様への新年の謹賀新年のブログを書いている時だった。突然揺れ始めた。2024年1月1日午後4時10分だった。その揺れは、徐々に大きさを増した。収まるかと思うも、結構長く続いた。一瞬、まさかの南海トラフも頭をよぎった。また、中越地震も思い出したが、明らかに中越地震とは揺れ方が違っていた。中越地震も檜枝岐村は結構揺れたが、揺れ方が早く、今回よりも大きな揺れだった。しかし今回の揺れ方は、どちらかというと、東日本大震災の時の、地面が横にずれ動く横揺れが大きかった。建物にも影響が大きそうな揺れだった。そんな揺れに対する感覚を覚え始めていた時、妻から、「お父さん早くテレビをつけて」という声が聞こえて来た。テレビをつけると、そこには日本列島の日本海側に津波警報の黄色いラインが見えていた。そして驚くべきは、震源が能登半島であったことに言葉を失った。かなり離れているのに、こんなにも揺れるのかと、さらに驚きが増した。檜枝岐村は地震も少なく、近年では、中越地震が大きな地震のほうであった。テレビをつけた後、お客様の部屋を暖めるためにつけておいたストーブの電源を切りに客室へ向かったが、ファンヒーターの耐震装置が働くほどの揺れではなかったのか、ストーブの電源は着いたままであったが、急いで消した。そして、ボイラーや冷蔵庫の点検や、台所のガスの点検に走った。そうこうしているうちに、テレビを見ると、今度は、大津波警報の大きな声のアナウンスが流れていた。とてつもない大地震が発生しているのだと気付いた瞬間だった。今日の日付が1月1日・元日であることにさらに衝撃が走った。
災害は時を選ばないという諺もありますが、お正月の元日に襲ってきた巨大地震。災害に見舞われました多くの被災地の一刻も早い復興復旧と、災害に見舞われました多くの人々の御健康と、一刻も早い生活の再建を心より、心からお祈り申し上げます。とても言葉になりませんが、被災地の人々が希望の心を持ち、一刻も早く元の生活に戻れるよう心より、心からお祈り申し上げます。

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