ブログ 2023.06.11

2023年5月12日。春祭りの日に鎮守神と戦没者の慰霊碑に参拝して。

3年間、コロナにより多くの影響を受けた歌舞伎上演でしたが、今年の愛宕神祭礼奉納歌舞伎は雨の心配もなく、無事上演されて本当にうれしかった。右手奥に見えるのが、太平洋戦争の戦没者の慰霊碑です(2023年5月12日)。

3年間、コロナにより多くの影響を受けた歌舞伎上演でしたが、今年の愛宕神祭礼奉納歌舞伎は雨の心配もなく、無事上演されて本当にうれしかった。右手奥に見えるのが、太平洋戦争の戦没者の慰霊碑です(2023年5月12日)。

愛宕神祭礼の日の朝6時30分、参拝して。大変な時代ですが、様々な祈願を祈りました。この神社の入口右側に、檜枝岐村における太平洋戦争の戦没者の慰霊碑が建っております。瑞も翼も樹莉も、いつも先人に手を合わせてくれて本当にありがとう。翼は戦没者の慰霊碑にも手を合わせてくれて、お父さん本当にうれしかった。翼、本当にありがとう。翼は日本の戦時中や戦後のことや昭和の時代のことまでいつも気にしてくれていたね(2023年5月12日)。

愛宕神祭礼の日の朝6時30分、参拝して。大変な時代ですが、様々な祈願を祈りました。この神社の入口右側に、檜枝岐村における太平洋戦争の戦没者の慰霊碑が建っております。瑞も翼も樹莉も、いつも先人に手を合わせてくれて本当にありがとう。翼は戦没者の慰霊碑にも手を合わせてくれて、お父さん本当にうれしかった。翼、本当にありがとう。翼は日本の戦時中や戦後のことや昭和の時代のことまでいつも気にしてくれていたね(2023年5月12日)。

5月の春祭り(愛宕神祭礼)の頃の季節は、檜枝岐村の四季の中でも最も輝きのある、素晴らしい季節です。
5月12日という日に祭礼を執り行うという5月12日頃の陽気が、いかに特別豪雪地帯の檜枝岐村にとって素晴らしい陽気であるかが、新緑や、水芭蕉や、雪解け水の流れなどを見ているとわかるような気がします。日照が日ごとに長くなり、気温も上がってゆく中で、昔の先人達は、春の奉納歌舞伎を本当に楽しみにして過ごし、奉納歌舞伎を見た次の日から、それぞれが、時には過酷な作業もある、出作り小屋へ向かうという本当に素晴らしい深山での人生を過ごしてきたこの出作り小屋の歴史は檜枝岐村の歴史の中でも、まさにかけがえのない歴史の一つであり、今まさに忘れ去られてしまったかのような、歴史の1ページです。
尾瀬野の100歳と6か月まで生きられたエイノおばあさんの生き方がまさにそうでした。春祭りと夏祭りの日に、エイノおばあさんが熱心に、そして楽しそうに芝居を見ていた姿を私達は一生涯忘れないでしょう。おばあさんは、歌舞伎という言葉は使っていませんでした。どんな時にもそれは、芝居と言う言葉でした。エイノおばあさんや多くの昔の村民にとって、歌舞伎それは、楽しい村民による芝居だったと思いますが、かけがえのない本当に素晴らしい民族芸能であり「檜枝岐歌舞伎」という形で、江戸時代より続いております。歌舞伎が上演される春祭りのために、標高差約600m、距離にして片道約20㎞の小沢平開墾地から歩いて戻り、歌舞伎を見た次の日には小沢平開墾地へ多くの荷物を背負いながら歩いて向かうという人生を送ったその生き方は、まさに困難を乗り越えてゆく生き方であり、「大自然とともに生きる」という言葉そのものであったと思います。出小屋で生き抜いてきたすべての人々が深山霊峰の地で戦後の過酷な開墾作業という困難を乗り越えてゆく中での唯一の娯楽であり楽しみが、歌舞伎であり、芝居だったのです。本当に素晴らしい生き方・人生ではなかったかと思います。戦時中や戦後のとてつもない多くの困難を乗り越えてゆきながら、深山霊峰の大自然の中で山菜とともに約60年。尾瀬野のエイノおばあさんの生き方でした。大自然の中で人間として素晴らしく美しい生き方をされた偉大な先人の方々が檜枝岐村にもたくさんおられます。

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