ブログ 2020.05.20

かつてない危機的な観光情勢の中、名峰・燧ケ岳と尾瀬の大自然に感謝して。 一生涯決して忘れない登山を思う。

閉鎖されていた尾瀬御池登山口駐車場の国道分岐点より残雪の燧ケ岳(標高2356m)を望む。燧ケ岳のおかげで地元で観光業に携わり、生きていることができる有難さを、かつてないほど身に染みて感じた朝でした(2020年5月1日)。

閉鎖されていた尾瀬御池登山口駐車場の国道分岐点より残雪の燧ケ岳(標高2356m)を望む。燧ケ岳のおかげで地元で観光業に携わり、生きていることができる有難さを、かつてないほど身に染みて感じた朝でした(2020年5月1日)。

瑞、お父さん一生涯、この登山を忘れないよ。この日、朝自宅から尾瀬御池登山口まで自転車でトレーニングした後の燧ケ岳登山でしたが、燧ケ岳登山もトレーニングの一環としての登山でした。当時31歳です(1992年7月25日)。

瑞、お父さん一生涯、この登山を忘れないよ。この日、朝自宅から尾瀬御池登山口まで自転車でトレーニングした後の燧ケ岳登山でしたが、燧ケ岳登山もトレーニングの一環としての登山でした。当時31歳です(1992年7月25日)。

最初の急な岩登りを終えて、最初の広沢田代湿原にて。今思うとワタスゲが本当に綺麗な中をミッキーと登ったんだね(1992年7月25日)。

最初の急な岩登りを終えて、最初の広沢田代湿原にて。今思うとワタスゲが本当に綺麗な中をミッキーと登ったんだね(1992年7月25日)。

瑞、山頂目前でお父さんがあまり急いだのでびっくりして流した涙はお父さんのかけがえのない思い出だよ。そしてこんなに素晴らしいかけがえのない登山ができたのものミッキーのおかげ。本当にありがとう(1992年7月25日)。

瑞、山頂目前でお父さんがあまり急いだのでびっくりして流した涙はお父さんのかけがえのない思い出だよ。そしてこんなに素晴らしいかけがえのない登山ができたのものミッキーのおかげ。本当にありがとう(1992年7月25日)。

東北以北の最高峰、燧ケ岳より標高1665mの尾瀬沼を望んで。天気も暖かく、お母さんが握ってくれたお昼のおにぎりは最高においしかったね(1992年7月25日)。

東北以北の最高峰、燧ケ岳より標高1665mの尾瀬沼を望んで。天気も暖かく、お母さんが握ってくれたお昼のおにぎりは最高においしかったね(1992年7月25日)。

爼倉からナデッ窪を下り沼尻湿原に到着した時の第一声が、「お父さん足が速くなったー」だったね。お父さんも本当にうれしかったし、大笑いだったね(1992年7月25日)。

爼倉からナデッ窪を下り沼尻湿原に到着した時の第一声が、「お父さん足が速くなったー」だったね。お父さんも本当にうれしかったし、大笑いだったね(1992年7月25日)。

ニッコウキスゲが満開の尾瀬沼にて。これほどの黄色の絨毯ともいえるようなニッコウキスゲの群落の季節に燧ケ岳登山をできたことは、娘と燧ケ岳と尾瀬に本当に感謝でした(1992年7月25日)。

ニッコウキスゲが満開の尾瀬沼にて。これほどの黄色の絨毯ともいえるようなニッコウキスゲの群落の季節に燧ケ岳登山をできたことは、娘と燧ケ岳と尾瀬に本当に感謝でした(1992年7月25日)。

燧ケ岳登山を終了した尾瀬沼山峠登山口にて(1992年7月25日)。

燧ケ岳登山を終了した尾瀬沼山峠登山口にて(1992年7月25日)。

戦後最大の国難、かつて経験したことのないほどの観光業界の危機的な激震。地元檜枝岐村では営業自粛要請が6月30日まで延長されました。そんな中、5月1日の朝、尾瀬御池登山口まで、写真の撮影もかねて、燧ケ岳の残雪の勇姿に出会いに出かけました。尾瀬御池登山口の駐車場入り口は国道分岐にて通行止めとなっておりましたが、残雪残る燧ケ岳の勇姿は本当に美しく綺麗でした。美しい燧ケ岳の勇姿をながめていると、いかにこの燧ケ岳が偉大でかけがえのない名峰であるかが本当にしみじみと心に伝わってくるようでした。私にとってはまさに、神の山です。数々の思い出がある燧ケ岳ですが、家族全員や、娘と登った燧ケ岳登山は一生涯忘れることのない、かけがえのない登山です。瑞、人生は山あり谷ありであり、本当に平たんな道などないよ。この燧ケ岳の登山や家族全員で登った燧ケ岳そして会津駒ケ岳や、学校行事などで登った会津駒ケ岳登山などが、人生の困難を乗り越えてゆくことに、ほんのわずかでも役に立ってくれたら、お父さんとしてこれほどうれしいことはありません。また、大学時代にひたむきに生きたことなども忘れずにこれからの人生、悔いのないように前進していってください。昨年の結婚式本当におめでとう。お父さんの人生の中でも最高の喜びでした。また、素晴らしい旦那さんです。旦那さんを大切にして、二人で力を合わせ時に歩調を合わせながら、人生の困難を乗り越えていってほしいと思います。
国際線のCAとして、世界中を飛び回り、時に過酷な勤務もあったと思うけど、お父さんが「今まで行った中でどこが一番良かったかな」と聞いた時に、「サンフランシスコが一番良かった」とミッキーが答えた時には、なるほどなーと思いました。新型コロナウイルスの関係で大変な航空業界だけど、国際線のCAとして、これからも体に気を付けて健康第一で頑張っていけることを祈ってます。ミッキーがもしこの尾瀬野のHPとブログを見てくれた時には、桧枝岐村の燧ケ岳や、尾瀬のことを少しでも思いだしてくれたらお父さん本当にうれしいです。

瑞へ   浜田省吾さん 君が人生の時・・・  そして  角松敏生さん Last Flight
                                             お父さんより

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